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夕日が沈み始めた頃、私は教会で作ったお菓子のカヌレを喫茶店に届けに足を速めていた。
行く途中、少しでも近道をしようと古びた教会の前を通ると、
そこには黙って佇んでいる影が目に付いた。
(木の影ではっきりとはわからないけど、あれは……)
「……そこにいるのは誰だ?」
「っ! その声は、ヴェガ……?!」
「ほう? 自ら捕まりにくるとはな」
私は慌てて臨戦態勢を取ると、ヴェガを睨みつけた。
私の気も知らず、ヴェガは一度は構えたが戦闘態勢を解いてしまった。
そんなヴェガに拍子抜け。その瞬間、張り詰めていた私の気が緩んでしまった。
「一体どういうつもりなの……?」
「その不味そうな匂いは、戦意を喪失させる為にでも持っているのか?」
「な、何よそれ! 失礼しちゃう! このお菓子、人気なのよ?」
相変わらず冷めた目をしているヴェガは、
いつもよりずっと眉間に皺を寄せ、厳しい顔つきで私を見下ろしてきた。
けれど、そんなヴェガもすぐに視線を反らし、踵を返して去ろうとした。
戦わずに済んだことには安心したが、このカヌレをバカにされた事に腹の虫が治まらなかった。
「ちょっと待ちなさいよ!!」
「…………」
私の言葉を無視して去ろうとするヴェガの腕を思い切り引っ張ると、
そのまま教会の方へ引っ張って連れて行こうとする。
「なんのつもりだ……!」
眉間に皺を深く刻み、不機嫌そうな顔をするが、抵抗はせず、されるがままのヴェガ。
(抵抗しないなんて、本当にこれはヴェガなのかしら……)
「ここに座って。…………はい! 食べてみて。」
「なんだと……?」
「不味いかどうかは自分で確かめてみてから、言いなさいよ」
「…………」
ヴェガの手のひらにカヌレを一つ、乗せてあげる。
しかし、そのままカヌレを見ているだけで手をつけようとしない。
「ヴェガ?」
「……ふん、食べなくてもわかる。この匂いで食べる気が充分そがれるからな。」
「食べる気がなくても、食べてもらうわよ? 食べるまで不味いなんて言葉は認めないわよ。」
ヴェガの顔を覗き込むが、ヴェガの視線は虚空を見つめている。
まるで、お菓子を通して何かを見ているかのようだった…………
「…………」
ふと、お菓子に視線を戻したかと思うと、手に乗っているカヌレを割って食べ始めた。
「おいしい……?」
「……」
ヴェガは黙々と食べているが、本当においしいかどうかは食べた人によって違う。
もし、甘いものが苦手なら不味く感じるかもしれない。
「……不味い」
「そう……ヴェガの口には合わなかったのね」
「だが…………懐かしい味がする…………」
「え? ……どこかで食べたことでもあるの?」
「……」
不思議に思い、ヴェガの方をそっと見るが、さっきのように、遠く彼方を見据えている。
憂いを帯びた表情をしていて、何故かはわからないが、胸が締め付けられた―
そんなヴェガを見ていられなくなり、私は視線を外した。
「このお菓子ね、教会で水鏡さんと一緒に作ったの。
それで、作ったお菓子を時々喫茶店とかに卸してて、教会名物にもなってるのよ? だから……」
“どこかで食べたことがあるのかも―。”そう続けようとして気が付いた。
傍にいたはずのヴェガが、いつの間にかいなくなっていることに。
「あれ……? ヴェガ……?」
さっきまでヴェガのいた場所には、何もなくなっていた。
夢でも見ていたかのような不思議な気持ちになったが、
ヴェガに渡した分のカヌレが無くなっていて、
それはさっきまでヴェガが隣りにいたのだという確かな証拠だった―
「ヴェガにとって、あのカヌレに深い思い入れでもあるのかしら……?」
(でも、誰にだって大切な思い出の一つぐらいあるわよね……?)
答えが返ってくる訳でもないのに、呟いていた。
そして、カヌレを作っていた時の水鏡さんもどこか懐かしそうな表情をしていたのを思い出した。
「いけない! 急いでお店に届けて帰らなくちゃ、皆に心配かけちゃう!」
夕日もすっかり沈み、教会の窓から微かな月の光が差し込んでいる。
そしてもう一度、教会を仰ぎ見ると、私は急いでお店へと走り出した。 |
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