聖バルビナ病院のエレベーターはずっと満員で、しばらく待っても乗れそうにない。

しびれを切らした私は、エレベータの隣の白い階段を、一息に駆けあがる。
ただでさえ、面会の時間は短い。
土曜日ならなんとか時間が作れるからと、
私は日和の入院している、この聖バルビナ病院へ、急いでやってきたのだった。
病院食は大抵、おいしいものじゃないし、日和も食欲旺盛なほうじゃない。

だからこそ、お見舞いの時くらいは何か、自分からの手の伸びるような、
美味しそうなものを持っていってあげたい……
今までそう思っていたのに、いざとなるとぴったりのものが思いつかない。
とりあえず病院のそばの果物屋さんで、大くて見事な洋梨をいくつか買ってきたのだけど。

「……で、ナイフを忘れたんだよね?」

日和は、相変わらずの笑顔で にっこり微笑んだ。

「もう、そのことはいいじゃない。看護婦さんに借りられたんだから!」

「……そうだけど、ほら、看護婦さんも心配するじゃない。
何に使うの?ってしつこく聞かれなかった?」

「う、聞かれた……」

確かに、日和の言うとおりだった。
ナイフ貸してください、包丁ありませんかなんて、なんだか聞きにくい。

「あーあ、やっぱり缶詰めにしたほうが良かったかなあ。」

「でも、どうせ缶切りを忘れるんでしょ?」

「失礼ねっ!手で開けられるのだってあるでしょう?」

私は思わず口を尖らせた。
でも、多分日和の言うとおり、缶切りは忘れそう。ちょっと悔しい。

「それに、病院で缶詰めなんて、縁起が悪いよ。
だから、これで良かったんだよ。ありがとう、マリア。」

「……どういたしまして」

ちょっと複雑だけど、喜んでくれてるみたい。
それにしても、どうして日和はいつも、皮肉まじりなんだろう。
その間にも、日和はくるくると器用にペティナイフで梨を剥いていく。
その手先はとても器用で、梨の皮をまあるく繋げながら、あっという間に剥き上げた。
そしてそれをトン、と4等分にしてくれた。

「ごめんなさい、やらせちゃって」

「いいよ、どうせヒマだし」

洋梨を頬張ると、甘くてお酒みたいな熟れた香りが、口の中に広がった。

「全く、まだやれるのに、エフレム神父が首を振るからな。僕は一秒でも早く退院したいのに」

ふと、日和が窓の外に視線を投げた。

「何言ってるの。いつも無理してばかりじゃないの。
少しは休みなさいって、きっと神様も言ってるのよ。」

「もしそうなら、余計なお世話だよ。僕には、まだやらなきゃいけないことがあるのに」

日和は、そう言って目を伏せた。
どうして日和はこんなに、生き急いでいるのだろう。
いつも、もう後がないとでも言うように、
わずかな時間があれば勉強したり、祈ったり、助けるべき人間を捜している。

この病院にも、悪魔つきの患者が入院している。
悪魔憑きは医学的な病気ではないけれど、
やがて身体の具合も悪くすることも多いから、結局は病院に入る。
まして、ここは聖バルビナ学園から近いから、
本当に悪魔憑きで困っている人がここに来ることも多いのだと、水鏡さんも言っていた。

「だけど、僕が医者の巡回を待っているように、僕に助けを求めてる人がいる。そう思うと……」

 日和は、遠い目をする。私はとてもやるせなくて、切ない気持ちになる。

「大丈夫。そのために、日和だけじゃなくて、私たちがいるんだもの。」

「それって皮肉?」

「そう取ってくれてもいいけど。だって事実だし!」

私も、ちょっと意地悪して笑ってみた。でも、意地悪だけで言ったわけじゃない。
傷が治るのに時間がかかれば、日和の心も少しは癒せる。私もまた、日和のお見舞いに来よう。

この病室は4階。だから、ここは普段の寮生活より少しだけ、
天国に近い場所。どうか神様、あと少しだけ、日和を休ませてください。
病室の中には、まだ洋梨の甘い匂いが満ちていた。
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